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内田裕也とはなにか?若い頃の画像や名言をまとめた

こんにちは。ギボンヌです。

ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだゆうや、本名内田雄也)さんが2019年3月17日に東京都内でお亡くなりになられました。

ご冥福をお祈りします。

樹木希林さんがお亡くなりになって半年でした。

やはりお二人は仲良しだったんだと思ってしまいます。

それにしても内田裕也さんという人は昔から謎でした。

そんな内田裕也さんについてまとめてみます。

内田裕也とはなんだったのか?

内田裕也さん

誕生 1939年11月17日

出身 中華人民共和国 河北省天津市

職業 歌手 音楽プロデューサー 俳優

担当楽器 ヴォーカル

アルバム

『ロックンロールカーニバル』(オリジナル発売:1973年)

『ロックンロール放送局』(オリジナル発売:1973年)

『ア・ドッグ・ランズ』(オリジナル発売:1978年)

『さらば愛しき女よ』(オリジナル発売:1982年)

『コミック雑誌なんかいらない』(オリジナル発売:1985年)

映画製作 「十階のモスキート」「コミック雑誌なんかいらない」などで映画賞を受賞。

俳優として「赤目四十八瀧心中未遂」などに出演

活動期間 1959年〜2019年

昭和35年日劇「ウェスタンカーニバル」でデビュー。

フラワー・トラベリン・バンドなどを結成。

内田裕也さんの若い頃

内田裕也さんの若い頃ってどんな感じだったのでしょう?

結婚したときですね。

昔から長髪だったんですね〜。

役者としても、カッコいいですね。

これは私が生まれる前の映像。

時代を感じる映像ですが、この時代に日本でこんな音楽をやっているのは早いですね!

そんなに昔の映像とは思えないくらい。

ロックは色褪せないんですね。

内田裕也さんのヒット曲

内田裕也さんについてはロック界のカリスマと言われたりしますが、どんなヒット曲があるのでしょう?

実はヒット曲っていうのはなく、ソロアルバムは3枚しか出していないのです。

でも、日本でロックというものを始めた人であることは間違いないようです。

当時の日本では、早すぎたから受け入れられなかったのかもしれないですね。

内田裕也さんの明言

「歌舞伎とロックは意外な関係がある。
中村勘三郎は俺達よりもっともっと本物のロックンローラーだった。」

「ロックンロールに免じて、ひとつ勘弁してください。」

「俺がロック一筋で通せたのは、ヒット曲がなかったからだ。」

「俺はロックだから。
馬券は6-9を買うワケよ。」

娘の内田也哉子が結婚した際、娘に送ったファックスの言葉

「ロックンロールよろしく。
ジョン・レノンが死んだ時以来のショック。」

「これ、ものすごくスースーするからな。
3粒は多い。2粒だよ。」

内田裕也さんがいうと怪しく聞こえるけど、フリスクの話です。

何股までかけた事ありますか?という質問に

「決まっているだろうRock’n’Rollだ! 69人! 何に対してもこだわりを持って自分のやりたいことをやる。」

「石巻は、英語で言えばロックンロール。
何か縁を感じる。」

「ロック歌手内田裕也(69+2歳)」

「人間は、安全か? 合理主義かの二者選択をつきつけられている! 電気がなければロックンロールはできない! 俺たちにフォークソングをヤレというのか?! 大きなジレンマ!『エネルギー』!!」

ほんとに素直な、純粋な人柄が言葉に溢れていますね。

世には受け入れがたいものであっても、自分の心に嘘つかずに突き進んできたんだということはなかなかできない事だと思います。

おわりに

内田裕也さんという人は、本当にロックを、貫き通した方だったんだと思います。

樹木希林さんも、それを、尊重して守ってきたのだと感じました。

内田裕也さんのアルバムは2013年に高音質でデジタルリマスターされて再発売されています。

日本の音楽の始祖のアルバムを是非手にとってみてください。

改めて、ご冥福をお祈りいたします。

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ギボンヌ
こんにちは。兵庫県在住のギボンヌです。 「人生は実験だ!」と思って生きています。 表も裏も上から下から、いろんな角度から覗いてみたいのです。